国際意識と言語教育の発展
高校、大学とニュージーランドに住んでいました。
羊が国人口より多いと言われている国です。
特に住んでいた町は、バス停に立っていると柵越しに羊が寄ってくるようなのどかな場所でした
🐏🐏🐏🐏🐑
ニュージーランド全体がそうかというとそうではなく、大学の時に住んでいた別の都市ではあまり羊を見かけませんでした。
高校の時は今ほどグローバル化は進んでいませんでしたし、小規模な町に住んでいたのもあり
『アジア人っぽい人は中国人だろう。』と知らない子が満面な笑みで
『ニーハオ!』と道端で叫んでくるようなところでした。
(ニーハオって言われるくらいならましなこともちらほら)
日本語学習者に初めて会ったのもこの時期です。
言語教育の進歩、環境の違いもありますが、後にオーストラリアで関わっていた高校生の日本語レベルと差がはっきりあったのを覚えています。
日本の英語教育は英語特化の学校に行かない限り、実践的な練習よりも文法訳やインプットが多い英語教育がほとんどだと思います。
ニュージーランドで通っていた学校を含め、当時他で見た学校の日本語教育も同様にインプット中心の教育がほとんどでした。
・読む聞く行為は文脈などで推測できる受け身的な言語能力(インプット)
・話す書くは自分の持っている能力で言語を処理する能力(アウトプット)
長期留学日本滞在を経験した学習者は別ですが、
日本語で会話が続く、ディベートができる学習者には出会うことがありませんでした。
一方、オーストラリアでは日本に数週間だけ行ったことがある学習者が
自分の意見を日本語で言えることには驚きました。
もちろん、言語教育のめまぐるしい発展、時代の違いもあると思います。
オーストラリアの高校の日本語カリキュラムにはディベートやスピーチなど、意見を述べるアウトプットの練習がバランスよく含まれています。
課題スピーチの題材も、ひきこもりやネットカフェ難民などの日本の社会問題についてなどなかなかレベルの高いものです。
インプットが言語習得の最大の鍵だと述べ『インプット仮説』を掲げたKrashen。
その仮説に『アウトプット仮説』で対抗したSwainはアウトプットで得たフィードバックで改善点の”気づき”を得ることが言語学習には大事と説きました。
アウトプット仮説
学習言語で自分が述べたいこと(願望)と自分が述べられること(能力)の差に”気づき”、相手の反応や理解度で自己の既存知識の正確さを検証し(フィードバック)、その気づきとフィードバックから自己に欠けている言語規則を意識的に学習し、言語を上達させること。
会話はある程度同じフレーズや言い回しを使ったり、聞き手も話の前後から察して理解してくれたりします。
意見を述べる場合そうはいきません。
意見には慎重な言葉選びと適格な表現能力、そして物事を論理だて相手に意図が伝わるように文を構成しなくてはいけません。
そのため、話す能力の中でも比較的難しいと言われています。
私自身も15歳のその当時、英語で会話をすることができるようになっていても、自分の意見を理解してもらえるよう論理立てて述べることには何十倍も苦労しました。
この”気づき”を原動力に『もっと勉強しなきゃ』と思わせる授業がさらに学習者の勉強意欲とモチベーション維持に繋がるのだと思います。
安心して学習指導を頼める指導者の存在は学習者にとってもいいモチベーション維持になりますよね。
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